女性たちに伝わったセファルディのうた

 

セファルディは中世スペインのユダヤ教徒にルーツを持ち、主にスペイン・ポルトガルまたはイタリア、トルコなどの南欧諸国に15世紀前後に定住した人々を指します。彼らは現地の音楽と融合しつつ独自の言語で唄を歌い継いできました。セファルディの音楽に魅せられ、現地で学んできた荻野仁子さんにご登場いただきました。

Profile

荻野仁子(おぎのさとこ)
福島県出身。ウード弾き。 

 

3歳より大学入学までクラッシックピアノを学ぶ。その後エジプト、チュニジア等への渡航を重ねるうちウードと出会い、オリジナル音楽でのバンド活動を始める。2003年チュニジアの国宝といわれるウード奏者、故アリ・スリティ氏の弟子である常味裕司氏に出会い、本格的にアラブ音楽・演奏法を学ぶ。松本泰子氏に歌唱師事。 2011年アブダビのウードハウスにてエジプト人女性ウード奏者Sherine Tohamy氏、カイロではヘルワン大学音楽科Khairy Amer氏らと交流。ウードを弾きながら歌う女性アーチストとして、エジプト・トルコ・クェート大使館等での演奏や、高円宮久子妃の前での演奏、IRIBイランイスラム共和国国営放送・国際放送ラジオ日本語へ出演、日本アラブ首長国連邦協会機関誌での表紙を飾る。2016年にスペイン、モロッコ、エジプトへ渡り地中海音楽への見聞を広め、 海外のライブハウス等でも演奏を行う。

セファルディの音楽について

セファルディ音楽とは、スペインから逃れ逃れ、主に女性たちの間で歌い継がれてきたユダヤ人の音楽。

スペインはかつてイスラム文化の拠点だった(後ウマイヤ朝(756年~1031))。首都をコルドバにおき、イラクバクダードからもたらされた優雅な文化が花開いていた。それに一躍かっていたズリヤーブ(789-857)はウードの発展にも欠かせない存在で、バグダードの素晴らしい文化を伝えながらウード演奏・歌手・作曲家・詩人としても名声を博した偉人である。

このスペインの優雅な時代をアンダルース時代と呼び、寛容なイスラム文化の中で様々な宗教や文化はお互いに影響を与えあい、平和に自由に共存していた時代だったという。しかし、一方でキリスト教によるイベリア半島の再征服活動(レコンキスタ:8世紀初頭~1492年)が起こり、その平和のバランスは崩れた。中でも、ユダヤ人たちはスペインを厳しく追い出され、北アフリカ・ギリシャ・トルコ・黒海周辺など各地に逃れ、そこでかれらの歌を歌い継いでいった。それがセファルディ音楽の始まりだ。なので、その多くはスペイン語のヘブライなまりの言語(ラディノ語)で歌われている。

 

セファルディ音楽は、平和で豊かなイスラム時代のコルドバの文化背景があることから、アラブ・トルコなどで使われる楽器編成で演奏され、アラブ音階(マカーム)を使用した魅力的なメロディや、キリスト教の聖歌を思わせるような心安らぐハーモニーなどが特徴でもある。また移住した先の言葉やリズムを取り入れ発展してきたこともあり、同じような節回しで同じような内容の歌が、離れた土地で様々な言語で歌われていることも多い。歌詞の内容は、ユダヤの歴史や文化を伝えるものであることには間違いないが、女性が歌い継いできたことから、子孫繁栄や子供の幸せ、結婚を願うものが多い。


 コルドバは後ウマイヤ朝(756年~1031)の首都、西方の拠点、文化の都。

 アッバース朝の首都バグダッドから来たズリヤーブ(Abu l-Hasan ‘Ali Ibn Nafi‘ (789-857)(歌手・ウード奏者・作曲家・詩人)は、コルドバの宮廷で召し抱えられ、ウードの演奏や歌手として名声を博した。彼はまた、バグダードの多くの優雅な文化(ガラス・革・料理・服など)をコルドバの市民に伝えた。

 また各地からムスリムだけでなく、多数のキリスト教徒とユダヤ教徒が住み、商業や文化活動に参加していた。(ウィキペディアより)

 

ユダヤ人の逃れた先

東欧に流れクレズマー音楽に発展、地中海沿岸に住み着きセファルディ音楽に。

 

 

 


Impressions


Gallery Oasis Presents

セファルディーの音楽のご報告      オアシスレポーター

 

7月30日(土)、荻野仁子さんのセファルディーの音楽でした。
お暑い中、皆様ご来店ありがとうございました!

演奏してくださった荻野仁子さん、いつもナビゲートしてくださる寺原太郎さん百合子さん、インドからいらしたサンギート・ミシュラさんご家族、ありがとうございました!

荻野さんには、私たちの無垢材あふれる空間もとても気に入ってくださり、「空気がいい!演奏しやすい!」と喜んでいただけて光栄でした。

今回のご感想は、世界の音楽紀行の常連A.Mさんからです!

「奏者のセファルディ音楽との出会いが印象的でした。荻野さんは、「楽譜通りに弾くことに行き詰まって、10年音楽から離れました。その先に出会った型にはまらない音楽がウードでした。」と。
ユダヤ人女性たちによって、国境を越え歌い継がれた音楽だそうです。ウードは、ピアノにはない、鍵盤と鍵盤の間の音の響きを奏でます。哀愁漂う、日本にはない弦の響き、リズムが新鮮でした。国を持たない移民として語り伝えた音楽には、「故郷への望み」「民族としての誇り」人生の深みが感じられました。日本人には馴染みがない7拍子を開場も手拍子で参加したり、9拍子には遠方から来られたゲストが太鼓で参加したり、今日は参加型音楽紀行の旅でした~♪
インド人のちびちゃんは、リズムに乗って体をフリフリ、タオルをフリフリ。
太郎さんの心静まる笛とのコラボ! etc盛沢山のライブでした!
♪子守唄は、完全に眠りの世界に落ちました。国は違っても、子守唄の効果は万国共通?!世界の文化、空気を体感できる音楽紀行、ぜひ皆さんお越しくださいませ‼」